一人でも生きていける強さを求めて、建築へ【マイストーリー4】

「これからの時代は、女性でも
一人で生きていけるような職を
手にしてないとダメよ!」
幼いころから、母に何度も何度も言われていた言葉です。
若くして4人の子どもを抱えつつ
体は弱く、人間関係やお金のことなど、
色んな苦労を経験してきた母は、
同じ思いを子どもにさせたくなかったんだろうなと思います。
私自身はというと。
そんな母の思いもありましたし、
「幼い頃、住んでいた借家をからかわれた経験」だったり、
「欲しいものは自分で作ればいい」
という思いから、
「人が心地よく住める家を作る人になりたい」
と、建築の道へと進みました。
4年間の学校生活で得たものはとても大きくて、
今でも仲良くしている友人との出会いや、
尊敬できる先生との出会い。
ここでしかできなかった経験が沢山ありました。
(^^)
今名乗っている「タテエツ」という名前も、
学生時代の友人がつけてくれた名前なんです。
大切な私の宝物です(^^)(笑)

でも、、、実はここで、
「私は本当に建築がやりたいの?」
という、根本的な疑問に当たってしまったんです。。
そもそも私は「手に職を」という思いと
「人が住む家」という思いだったんですが、
設計の授業での対象は
・独創的で、
・デザインが優れていて、
・大きな公共施設だったり、
・社会な環境に影響のあるもの。
「日々暮らす身近な住宅」という意識だった私は、
興味が全然向かなかったんです。。。。
情熱を傾けて作品を作る同級生の横で、
なんとも言えない違和感を感じながら
図面を描いてはやり直しになる自分。
でも、学校まで行かせてもらったのだから、
本当に恵まれた環境にいるんだから、
きっちりと形を残して恩返ししなくては。
一人でも生きていける職を手にしなくては、
顔向けできない。
デザイン的な建築を手放し、
大学3年の時に構造計算という切り口へ転向。

就職は建築以外で2社内定したのですが、
会社の事情でなんと、2社共が取消に・・・
卒業まで1ヶ月を切った時に、
偶然ハローワークで見つけたのが
後に一級建築士・構造設計一級建築士を取得し、
夫と出会うことになる設計事務所だったんです。

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